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贖いの煙 罪悪の傷

『贖いの煙 罪悪の傷』サンプル(※本は縦書きのため、一部サンプルと記号等が異なります。) 「煙の隙間から伸びた小さな手に」(書下ろし)    一  俺と阿虎、阿秋の三人で雷震東と対立し、抗争を繰り広げていた頃の九龍城砦はまさに人が住む場所ではない、そんな形容がふさわしい場所だった。風が吹くたびに砂埃が舞い、かろうじて崩れていない傾いた小屋ががたがたと音を立てる中で多くの人々が肩を寄せ合って暮らしていた。雨など降ろうものなら、土や埃の混じった独特の匂いが立ち込め、人々は頼りない建物の屋根の下でひたすら雨をやむのを待ってやり過ごす。嵐が過ぎ去った日でも、小さな小屋が吹き飛ばされずに人々があたりに散らばったごみを片付け、入り込んだ雨水を外に掻き出しているのが、俺は信じられなかった。俺はこの貧しい街自体が吹き飛んでもおかしくないと思っていたからだ。  そんな光景も、今や昔のことだ。ここに住む人々が増えるにつれて、住めればいいと快適さを度外視して強引に増築を重ねていった建築物は、今や巨大としか言いようがない。今の九龍城砦しか知らない者なら、かつてここは荒れ地にへばりつくように建てられた小屋の集まりに過ぎなかったと聞いてもきっと信じられないだろう。  けれども、俺だって同じだ。雷震東と対立していた頃は、隣の店との仕切りや扉もない一画を理髪店としていた。今は九龍城砦の中でも比較的日当たりがよく、小さな店がゆうに三つ、四つは入る大きな店を営むなんて、過去の俺が聞いても信じるわけがない。もしも阿占が生きていてまともな店を持ったと聞いたとしたら、仲間ですら来なくなって髭剃りさえ任せてもらえない、この腕前で? いったいどんなあくどい手段を使ったんだ? と笑ってくるに違いない。  昔と比べれば平和になった九龍城砦だが、やはり法の及ばない無法地帯であることに変わりはない。それでも、これほど穏やかな日々が手に入るとは。ふうと息をついて、軽く背中を伸ばす。そして、理髪店の開店準備を進めていく。タオルやはさみの用意をして、店全体の掃除をする。ありがたいことに、俺の店で理髪師として何人かが働いてくれているが、店主が率先して店を大切にしなければと掃除はいつも自分がやっている。  ほとんど日課となって体が覚えている支度と掃除を済ませて、俺は窓辺に立って煙草に火をつける。柔らかい陽射しがほのかに暖かい。理髪店を開く時間まで、まだずいぶんある。今日はどこで朝食を買ってこようか。たまには誰かに頼まず自分で水を汲んでこようか。そう考えながら、煙を吐き出す。  そのとき、こんこんと小さく店の入口を叩く音が聞こえた。今日も来たのか。俺は頬を緩ませながらも、複雑な心境とともに店の入口へと向かった。  扉の上半分にはまっているガラスからは普段と同じ通路しか見えない。けれども、こんこんと小さく扉を叩かれる音は続いている。俺は扉を内から軽く叩き返す。こうすると、扉の向こうにいる相手は扉から離れてくれる。尋ねてきてくれた相手に扉を開けてもぶつける心配がなくなったところで、扉を押し開く。扉を開けた先には小さな人影が立っていた。 「信一、おはよう。今日も来てくれたのか」 「うん。おはよう、龍哥」  俺を見上げた子どもは無邪気に笑って、頷いた。九龍城砦も昔よりはましになったとはいえ、まだ小さな子を一人で歩かせるのは心配だと思いながら信一をそっと抱き上げて、店内に入れる。ソファに信一を座らせる。タオルを濡らして、まだ少し眠たそうにしている信一の顔を拭ってやる。 「お父さんの調子はどうだ?」 「いつもと同じ。今日も起きてくれないから、ここに来たの」 「そうか。また時間ができたら見舞いに行こう」 「お願い、龍哥。あの、いつもここに来てごめんなさい」  申し訳なさそうに視線を落とす信一に、まだ学校に行く歳でもないのに周りの人の気をよく遣っているなと感心する。 「気にするな。九龍城砦はみんなが助け合う場所だ。それに信一が俺のところに来てくれて嬉しい。遠慮なんかせずに来なさい。もう少しすれば喫茶店や店が開く。ここで少し待ってから、朝食を食べに行こう。ほら、水でも飲んで」  子ども用の小さなコップに水を入れて信一に渡す。喉が渇いていたのか、勢いよく水を飲んでいく。この店には髪を切りに来た客が子どもを連れて来ることが多く、子ども用の椅子やおもちゃがいつからか持ち込まれて、ずっと置かれたままになっている。そのおかげで、信一がこの店で過ごすときに困ることはない。 「ありがとう。龍哥。でも、まだ僕は誰かにお返しもできないのに……お父さんにも迷惑をかけてる」  水を飲んで濡れた口元を拭った信一が心細そうに言った。俺は信一の隣に座って、頭を撫でる。 「気にするな。大丈夫だ。大人はみんな子どもだった。俺だって子どものときは大人に助けてもらった」  信一は歳の割には言葉遣いもしっかりしている。親に頼れない状況でも、自分で考えて周りの大人に助けてほしいと行動できる芯の強さがある。強い子だと思うと同時に、この子も学校に通うのは難しいのだろうと悔しさに近い諦めを覚える。  信一の父親は雷震東と抗争を繰り広げていた頃から俺の手下になり、もう長い付き合いだ。おかげで俺は彼をよく知っている。  体格はすらりとしていて、周りからモデルになれそうだと言われるほど老若男女問わずに好かれる整った顔立ちをしていたが、そうした外見を鼻にかけることのない、気立てのいい性格をしていた。困っている相手には率先して手を差し出して助けられる優しさと、敵との争いには一番危険な先頭に立って戦える強さを兼ね備えた好青年だった。いつかは龍哥のような立場になるんだと酒を飲む場ではよく言っていて、俺を慕ってくれていた。周りの手下たちもあいつが上に立つなら納得だ、むしろなってほしいと何人もの手下が言っていたほどだ。  九龍城砦ができて、俺が理髪店を営むようになってからもついてきてくれた手下の一人で、何人もの手下を率いて城砦の秩序を保っていた。流通する薬物の管理、出入りする人々の中に他の組織の者がいないか、争いの火種を持ち込もうとした輩の排除など、熱心に働いてくれた。  彼がある女性と懇意になって、夫婦として暮らし始めたときには、とうとう俺も組織を率いる頭として長く生きてきたものだと感慨深かった。  彼らの間に子どもが生まれ、俺や他の手下たちに会わせてくれた日は未だによく覚えている。信一が生まれたときは、近所の人々全員で喜んだものだ。  けれども、そんな日々は懐かしい過去になってしまった。信一が立って歩き回り、たどたどしくも話すようになった頃、信一の母親が流行り病に倒れたのが原因だ。信一の父親はあらゆる手を尽くしたが、流行り病で体力を失った母親はそのまま別の病にかかって亡くなってしまった。あまりにも呆気ない別れに、信一の父親はひどく混乱し、幼い信一を抱きしめて泣いていた。その姿は痛々しい以外に表しようがなく、俺も手下も慰めの言葉一つさえかけられなかった。九龍城砦には外と同じような治療ができる診療所がなかったうえ、感染症が流行りやすい不衛生な場所だったことを、俺は悔やんだ。そして、俺たちの手下はここ以外では生きていけない、つまり、この巨大な都市の中でも無法地帯として放置された場所で、法や警察に見過ごされて生きるしかない因果を虚しく思った。  信一の母親のために、どうすればよかったのだろうか。過去をいくら悔いても何も答えは出ないが、考えた結果、俺は九龍城砦安全委員会を作った。  そして、城砦で暮らす人々の生活や安全のために動き始めた。その頃には、まだ信一の父親も気落ちこそしていたが、まだ元気で壊れた水道を直したり、新しい冷蔵庫を運び込んできたりしてここでの生活をよくしようと一緒にやってくれた。  時間が経てば、いつかは立ち直れると信じていた。だが、彼は周りに相談できずに一人で苦しみを抱えていたのかもしれない。信一が元気いっぱいに遊び回るくらいの歳になったとき、俺の店によく信一が来るようになった。心配で手下に信一の父親の様子を見に行かせたのだが、薬物中毒で話せる状態ではなく、部屋も荒れきっていたと聞いた。それからは転落するように、彼は薬物に溺れていった。俺や手下は薬物だけはやめろ、辛いなら働かなくていい、金をやるから休めと何度も言ったが、薬物への依存は日増しにひどくなっていった。  今では俺の手下を見るだけで薬物をやめさせられると怯えるか、また説教をする気かと喧嘩腰になってしまうため、無闇に刺激しないように遠巻きに見守ることしかできない。信一も自分の父親が、母親が亡くなってから心身の調子を崩したことを何となく理解しているのか、父親の調子が悪いときは俺の店に来るようになった。  そろそろどうにかしなければならない、何度もそう思ったが、無理に薬物を断たせることも、信一を強引にでも保護することはできないままだ。  相手から頼まれたことであれば俺は動きたかったが、何も頼まれていないのに強引に動けば信一の父親の面目を潰すことになる。まだ黒社会の一員として生きるかもしれないのに、信一の父親を勝手に助けた結果、今までの面子を潰して生きる道を塞いでしまうのは躊躇ためらわれたのだ。 「龍哥、どうしたの? 迷惑なら一人でも平気だよ。僕、ここで大人しくしてる」  顔を上げた信一が俺を見つめて、心配そうに首を傾げている。つい顔に出てしまうほど、考え事に気を取られていたようだ。信一の持っているコップは既に空になっている。外からは、ざわざわと人々の話し声と生活音が混じった音が聞こえてくる。 「すまない。少し、考え事をしていた。迷惑だなんて思っていない。むしろ、信一みたいないい子が来てくれて嬉しい」  信一の体を抱えて膝にのせる。軽く癖のかかった柔らかい髪を撫でて、優しく抱きかかえていると、甘えたいのか信一は俺にもたれかかってくる。顔を上げて、嬉しそうに俺を見つめてくる。そのかわいらしい顔に、ごく自然に頬が緩む。父親と母親によく似ていると、かつて信一が両親とともに穏やかな日々を過ごしていたことを思い出して物悲しくなる。  その悲しさを誤魔化すように、俺は信一を抱きしめた。  煙草の匂いと子ども特有の匂いがする。その中に、わずかにだが、薬物特有の匂いが混ざっている。信一が俺のもとに来るたびに世話を見るのはいいが、本当は実の親のところで健やかに生活できるのが最もいいはずだ。その日その日を凌ぐように信一の世話を見るのではなく、根本からどうにかしてやらなければならない。けれども、何をどうすればいい? 俺は分からないなと軽く首を振って、何もできない自分の弱さから逃げるように口を開いた。 「そろそろいろんな店が開く時間だ。信一、朝食を食べに行こう。何か食べたいものはあるか?」 「叉焼飯! でも、お粥も食べたい。あとジュースも飲みたい」 「叉焼飯は昼にしようか。ジュースは午後のおやつのときに」 「やった、ありがとう。龍哥」 「よし、行こうか」  膝から信一を下ろして、手を握って店の外に出る。よく行く喫茶店へと向かうと、すれ違う住人たちからおはよう、今日も信一は龍哥の一緒にいられて嬉しそうな顔をしている、と声をかけられる。声をかけられるたびに、信一はおはようと元気よく答え、俺に寄り添ってはにかんでいた。  生まれたときからここにいるおかげか、信一は人見知りをほとんどせずに、誰にでも愛想よくかわいらしく接する。父親が薬物に溺れ、碌に信一の面倒を見てやらない劣悪な環境にいてもなお、信一の愛嬌や人懐こい優しい気質は失われず、むしろこの城砦の中で輝くようだ。  喫茶店で朝食を注文し、おいしそうにお粥を食べる信一に俺はつい目を細めた。せめてこの子をどこかに預けられるよう、周りに頼って誰か探そうか。阿虎なら、廟街を継ぐ後継者として育ててくれるかもしれない。だが、阿虎も学校に通うことが難しい信一を引き取るのはさすがに躊躇うだろう。それに阿虎は荒くれ共の面倒を根気強く見て、多くの者に慕われる優しいところがあるが、こんなに小さな子どもを育てるのはさすがに負担が大きい。いくら俺と阿虎が親しく、公私問わず助け合える仲とはいえ、気軽に頼んでいいことではない。  俺も頼んだお粥を食べながら、どうにも難しいなと溜め息をつきたくなった。ここから信一を出してやりたいが、そうなったとしたら信一の父親はどうなるか。心の支えを失ってより一層薬物に溺れるかもしれない。それに信一が外に出て生きていくとしても、まっとうな身分を証明するものや、保護者がいない信一は学校に通うことにすら手を焼くだろう。 「ごちそうさまでした。龍哥」  椀を空にしてきれいにお粥を平らげた信一が、俺を見ている。俺も最後の一口を食べて、信一の頭を撫でる。 「お腹はいっぱいになったか?」 「うん。おいしかった」 「よし、それじゃあ帰ろう」  椅子から立ち上がると、信一もゆっくりと椅子から下りて俺の傍に来た。そして、手を握ってくる。きっと何も知らない者が俺たちを見たら、親子か親戚と勘違いしてしまうだろう。本当は実の親と信一はいるべきだ。自分がそう考えているにもかかわらず、こうして信一が俺に気を許して慕ってくれるのを見ると、頬が緩むのがとめられない。  理髪店に戻る頃には、信一は眠そうに目元を擦っていた。朝早くに起きてここに来たのだ。お腹がいっぱいになって、眠たくなるのは当然だろう。 「お客さんが来たら少し騒がしいかもしれないが、眠かったら私の寝室で寝ていてもいい。どうする、信一?」  驚いたのか目をぱちりと開けた信一は勢いよく首を横に振った。  だが、やはり眠いのか大きなあくびをした。 「やっぱり眠いんだろう。寝なくてもいいから、横になっていればいい」  小さな手を引いて寝室に向かう。この空間は住居用で、俺以外では信一くらいしか入ったことがない。血のつながりこそないが、もうこの子は親戚みたいなものかもしれないなと俺はほほえむ。信一を抱き上げて、寝室のベッドに座らせる。靴を脱がせるが、ぼろぼろの靴に俺が新しいものを買ってやりたいと唇を噛んだ。勝手に信一の服や靴を買い与えたら、信一の父親は屈辱を覚えるだろう。そうした葛藤を押さえて、信一を横にさせて、薄手の毛布をかけてやる。 「ごめんなさい、龍哥」 「どうして謝るんだ? 気にせず休めばいい。もし寝ていて、目が覚めたら店の方に来てくれ。昼になっても寝ていたら起こしに来るから。そのときは昼ごはんを食べに行こう」  見上げてくる信一に、俺はベッドの傍でしゃがみ込んで視線を合わせる。 「だって、いつもお世話になってばかりで……迷惑かけてる」 「そんなことはない。お前のお父さんには世話になった。そのお返しだ。それに誰かが困っていたら見過ごせない。俺のためだと思って、信一は遠慮なく頼ってくれ」  横になって眠そうに目を細めている信一の頭を撫でてやる。顔に滲んでいた不安そうな色は段々と穏やかな表情に変わり、小さく頷き返してくれた。まだ店を開けるには時間がある。店を開けるまでは信一の傍にいてやりたい。俺は柔らかい髪から細い肩を何度か撫でて、傍にいた。そうしているうちに、信一は眠気に負けて目を開けていられなくなったらしい。  眠そうに目を閉じて、また少しだけ目を開いて眠くないと我慢しようとする。子どもなりに、大人に甘えすぎてはいけない、迷惑と思われたくないと必死なのだ。 「信一、大丈夫だ。ゆっくり休んでくれ」  どうしてこんなにかわいらしい子がいるのに、信一の父親はこの子を放っておけるのか分からないとつい思ってしまった。誰かの苦悩や悲しみに暮れる気持ちを、他人が完璧に理解できるはずがない。本人が最も苦しみ、抜け出すために懸命に足掻いている。それなのに、自分の尺度で勝手に分からないと判断して突き放し、どうして親が子を放っておけるのだと説教めいた怒りを抱けるだろうか。  勝手な怒りを抱いて押しつけるより、苦しみからなかなか立ち上がれないこの子の父親に代わって、今は俺が信一をかわいがってやればいい。いつかは信一の父親も立ち直って、この子との楽しい日々をまた過ごせると信じるのが俺にできることだ。 「……龍哥」  もう瞼が重くて開けないのか。信一は目を閉じて、つぶやく。その声はこうやってベッドのすぐ傍にいなければ、聞き落としてしまうほど小さかった。 「おやすみ、信一」  そう答えて、何度か肩から背中を撫でる。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。俺は音を立てないように立ち上がる。そして、店の方へ向かって開店の札を表に出した。  店を開けてから訪れてきた人々の半分は髪を切りに来た客で、残りの半分は世間話をしたり、遊んだりする場所にちょうどいいと来た老人や子どもたち、仕事の合間に休みに来た大人たちだ。みんなでお菓子や飲み物を持ち込んで息抜きしながら、子どもはちょうど居合わせた大人たちに教わって問題集を解いている。俺はこうして人々が安心して集まれる場所を作れたことを誇りに思うくらい、この店と集まった人々の雰囲気が好きだ。  常連客たちと世間話をしながら髪を切っていると、「あら、信一。ここでお昼寝していたの」と順番待ちをしていた客の声が聞こえてきた。 「うん、朝に龍哥のところに来たから」 「よかったな。お父さんの具合が悪くて大変だろうが、龍哥に頼れば大丈夫だ」 「お昼はどうするの?」 「龍哥と叉焼飯を食べに行く!」  元気な声に、ほほえましいと大人たちが笑う声が聞こえた。 「信一、起きたか? よく眠れたか」  髪を切る手をとめて、ちらりと信一の声が聞こえた方を見やる。すると、信一は大きく頷いた。そして、俺の足元に近づいてくる。だが、以前から誰かの髪を切っているときは刃物を持っていて危ないから、あまり近づかないようにと言い聞かせていたことを思い出したようで、信一は数歩分の間を空けて立ち止まった。 「信一、構ってやれなくてすまないが、昼の間は遊ぶか、勉強でもしていてくれ。昼は一緒に食べに行こう」 「うん、分かった」  少し寂しそうな顔をしたが、信一は大人しく頷いて店にいる大人たちや遊んでいる子どもたちの方へと向かっていく。信一は素直で人懐っこいため、俺の手下だけではなく住人たちからもよくかわいがられている。今もお菓子を食べるか、子ども用の簡単な問題集を一緒にやろうと声をかけられている。 「みんな、今日の午後に信一にジュースを買う約束をしたんだ。すまないが、あまりお菓子を食べさせないでくれ」  俺が声をかけると「信一、それは楽しみだな」「それじゃあ、今は我慢しないとな」とみんなが笑う。顔は見えないが、楽しそうに笑う信一の声を聞こえてくる。その声に俺は頬を緩め、こうした日々が続けばいいと思う。ここには様々な理由で苦しんだ過去を持つ人々も多い。だが、過去を気にせずにできるだけ多くの人が笑えるような場所に九龍城砦をしていきたいものだと、理想を抱いてしまう。俺が持つにはあまりにも都合のいい理想だが、信一や彼の周りにいる人々を見ていると、ついそんなことを考えてしまう。  午前中の仕事を終えて、昼休みの時間となった。この時間は常連客も昼を食べるために外に出て、世間話を楽しんでいた大人と子どもたちも家に帰って昼にする。午後の開店まで閉じた店に残った信一は、簡単な計算の問題集を夢中で解いていた。 「信一、昼食に行こう」  俺が声をかけると、はっと顔を上げた信一が慌ただしくソファから立ち上がって俺についてくる。そして、俺の手を取って頷いた。店に鍵をかけて、叉焼飯がうまいと評判の店まで歩いていく。  昼で店内は混んでいたが、手下が営んでいる店のおかげで片隅の小さなテーブルと椅子はいつも俺のために空席にしておいてくれる。最近はよく俺が信一を連れてくるため、椅子がもう一脚増えた。席について運ばれてきた叉焼飯を頬張る信一を眺めながら、俺も叉焼飯を食べる。 「まだ子どもなのに、もう勉強をしているのか?」 「うん。だって、勉強ができたら大人の役に立てるんだって聞いた。僕、早くお父さんのために働きたい」 「そうか。頼もしいな」  大人の役に立ちたい。そんなことを言わせてしまってすまないと思ったが、無邪気に笑う信一に俺は頷くことしかできなかった。 「僕が働けば、きっとお父さんも喜んでくれるはずだから」  そう言って、信一は勢いよく叉焼飯を食べていく。この子がいくら利発だといえ、年相応に親の愛情を求めている。親に振り向いてもらいたい、構ってほしいと言わないだけで、ずっと思っているのだろう。 「お前がここにいてくれるだけで十分だがな」 「そうなの?」 「大人はそういうものだ」  叉焼飯を食べ終わった信一が首を傾げた。俺はどう言えばいいものか考えているうちに叉焼飯を食べ終えた。うまく説明できそうにないと諦めて、煙草を吸う。さあ、そろそろ行こうかと席を立つ。帰る前に、信一が好きなジュースを買った。自分だけ買ってもらうのが後ろめたいのか、金を払う俺に、信一が申し訳なさそうな顔をしているのに気がついていた。俺はその場で、もう一本ジュースを買っていた。 「午後に一緒に飲もう」 「……ごめんなさい」 「どうして謝るんだ? 俺も飲むんだ、気にするな」  少し戸惑いながらも、信一は頷いて申し訳なさそうな顔をやめてはにかんだ。 「ありがとう、龍哥」  店に帰って仕事を再開させると、また多くの人が店に訪れた。信一も同じ歳くらいの子どもたちと遊び、楽しそうにはしゃぐ声が店内に響く。午後に客足が途切れて暇な時間があった。そのときに、買っておいたジュースを信一と飲んだ。ジュースをおいしそうに飲んでいく信一に、自分が飲んでいる分も分けてやりたいと思ったが、さすがに甘やかしすぎかもしれない。  親ではない俺があまりに甘やかすのは躊躇われて、見守るだけに留めておいた。  夕方頃になると、客足も落ち着いてくる。遊びに来ていた子どもたちは親が待つ家に帰っていく。残っていた大人たちも夕飯を家族と食べるために帰っていく。店を閉める頃には信一だけがいる。帰る場所も、迎えに来てくれる親も、今の信一にとってはないに等しいと改めて突きつけられるこの時間が、俺はあまり好きではない。どんな気分でこの時間を過ごすべきか。俺は未だに分かっていない。 「信一、どうする。夕飯を食べて、そろそろ帰るか?」  さすがに夜くらいは帰らせないと、信一の父親も困るだろう。そう思って信一に声をかける。子ども向けの図鑑をソファに座って眺めていた信一は、近づいた俺へと顔を上げて目を伏せた。 「……僕、ここにいたい」 「それは嬉しいが、帰った方がいい。お父さんが心配する」  すると、信一は俯いて首を小さく横に振った。お父さんは心配なんかしない、そう表している。 「すまない。信一」  まだ小さな子に辛い現実を説明させてしまった。  信一を抱き上げて、頭を撫でながら抱きしめる。 「夕飯を買ってやるから、持って帰ってお父さんと一緒に食べなさい。そうすれば、お父さんも喜ぶはずだ」 「分かった。龍哥。……わがままを言ってごめんなさい」 「わがままなんかじゃない。気にするな。信一はいい子だな」  そっと信一を下ろして、店の一緒に出る。よく行く食堂へ向かい、三人分の料理を頼む。二人分の料理大切そうに持って歩く信一を彼が住む部屋まで送る途中、少し彼の足取りが重くなった。 「どうした、信一。腹でも痛いか?」 「違う、大丈夫」  慌てて首を横にした信一が、俺の歩調に合わせて軽く走る。けれども、理髪店に近づいていくうちにまた足取りが重くなっていった。理髪店からしばらく歩けば、信一と彼の父親が住む部屋にたどり着く。 「帰りたくないか?」 「……ごめんなさい」 「いいんだ。そうだ、いいものを買ってやろう」  途中で靴屋に寄っていく。不安そうについてきた信一は、俺が店主に「この子に新しい靴を」と頼んだとき、目を見開いて何度も首を振った。 「いらない。龍哥にそこまでしてもらわなくていい。今の靴でいいから」  申し訳なさそうに俯いてしまった信一の頭を撫でる。頭を撫でると、信一は驚いたのか小さく肩を揺らした。 「俺が買いたいんだ。新しい靴は店に置いていってもいい。それでも、だめか?」  俺は信一に向かって屈んで、肩に手を置いた。頑なに首を横にして、断るのも無礼かと思ったのか、信一はゆっくりと頷いた。 「よかった。それじゃあ、長く履けるいい靴をくれ」  店主に頼んでいくつかの靴を信一に試しに履かせて、一番歩きやすいと言った靴を買った。古い靴は俺が持って、店を出る。新しい靴を履いた信一は足取りを軽そうにして、通路を駆けていく。 「すごい、歩きやすい。ありがとう、龍哥!」  少し先に行って、また走って戻ってくる信一がほほえましい。走って乱れた髪を手で整えてやる。 「そろそろ家が近いな。あとは一人で帰れるか?」  信一は少し心細いのか、住んでいる部屋がある方をちらりと見る。帰るのは嫌だと言いたそうだが、小さくも頷いて一人で歩いていく。 「再見またね、龍哥」  買ってやった料理を大切そうに抱えて、信一は自分の家へと駆けていく。 「気をつけて」  その小さな背がほほえましくも、これから父親が元気になってくれるか気がかりだと心配してしまう。信一の背が見えなくなるまで見送りながら、俺が手をかけた阿占の息子も今はこれくらいの歳になっているのだろうなと、複雑な気持ちになった。俺は古くからの友人に託された子どもを義父として助けることも、長い間慕ってくれた手下の子どもすら満足に助けられない。  行方さえ知れない阿占の子どももだが、信一もどうにかして助けてやりたい。通路を駆けていく背が、暗闇に消えて見えなくなった。  助けてやりたい、か。  きっと俺のこの気持ちは、阿占の息子の世話をできなかった己が、罪悪感を拭ってほしいからあるのだろう。自分が約束を果たせなかったからと、信一に阿占の息子を重ねて手を差し伸べたいなど、阿占も、彼の息子も、それこそ信一も願い下げだ。  俺はひどいやつだ。今まで後悔する中で分かったつもちになっていたが、まだ自覚が足りなかった。やはりひどいやつだ。改めてつくづく思う。煙草を取り出して火をつける。そして、理髪店へ戻っていく。  雷震東に打ち勝ったが、はたしてあの決着でよかったのだろうか。  あのとき、阿占に手をかけなければ。  こんなことにはならなかったのだろうか。  俺は自分が選んだ道がこれほど多くの者を傷つけると分かっていれば、あのとき阿占に殺される道を選んだだろうか。  薄暗く人気のない通路を、煙草の火を頼りにするように歩いていく。  吐いた煙が、鼓動が、自身の頼りない歩みが、過去に選んだ道が正しかったのかという迷いが、どうして俺などが生きているんだ、友人を殺してまで生きるべきではなかったのではないか。そんな後悔を揺り起こす。  すまない、と虚空につぶやく。罪悪感を拭いたいという身勝手な欲求からだとしても、俺のような思いを子どもたちにさせないために、できることをしよう。きっとそれだけが、この道を選んだ俺にできる償いだ。  一つ大きな溜め息をつく。  後悔を引きずりながら、俺は店へと歩いていく。  もう後悔をするのにも慣れてしまったのか。  前に進む足はいつも通りだった。  夕食を食べてから寝る支度をして、ベッドに入ってからしばらくうつらうつらとしていたとき。外からとん、とん、と何かを叩くような音が聞こえた。気のせいかと勘違いしてしまいそうなくらい、かすかな音だ。起き上がるのが億劫で眠気にまたまどろみかけたとき、とんとんと扉を叩く音がした。  大変な出来事が起こって手に負えなくなった手下が駆け込んできたのか。たまにそういうこともあるが、その割には扉を叩く音はおそるおそるといった調子だ。俺を呼ぶほどの事態なら、早く起きてくれと訴えるように叩いてきてもおかしくないが。近所の人で何か困ったことがあったのだろうか。何はともあれ放っておけない。  目を擦り、起き上がる。あくびをしながら手近にあった上着を羽織り、眼鏡をかけて店の方に出る。店の明かりをつけて、眩しさに目を細める。とんとんと扉を叩く音は俺が起きたと分かったのか、扉を叩く音の感覚が短くなる。しかし、扉の上半分にはまったガラスからは誰も見えない。  俺は嫌な予感がして、急いで扉を開けにいく。扉を開けると、明かりに目を細めた信一が俺の脚にしがみついてきた。小さく鼻をすする音が聞こえた。  信一が店に訪れることは何度もあったが、これほど夜更けに一人で来ることは一度もなかった。 「どうした、信一。具合が悪いか?」  信一は首を振った。父親と何かあったのではないか、嫌な想像が過ぎった。抱き上げて中に入れる。ソファに座らせると、ようやく明かりに目が慣れたのか信一は目元を擦りながら俺を見つめる。俺はしゃがみ込んで信一を見たまま、思わず言葉を詰まらせた。  左の頬が腫れている。ひどく泣いたのか目元は赤く染まり、頬に残った涙の跡が痛々しい。まだ目には涙が滲んでいる。俺に会えて気が緩んだのか、目元に涙が溜まってぽろぽろと流れ始める。何度も顔を両手で擦って涙を押さえようとするが、しゃくり上げてとめられないようだ。細い腕にも赤い痣が残っている。まるで大人の手に強く掴まれて、頬を殴られたような。 「ごめんなさい、龍哥」 「謝るようなことはしていないだろう? どうしたんだ」  涙で濡れて顔についた髪を払うと、信一は肩を大きく揺らして、背中を丸めて怯えた顔をした。しばらく話せそうにない。俺は少し待っていてくれと言って、立ち上がる。濡らしたタオルと水を用意して、信一のもとに戻った。 「痛かったな。大丈夫か? 水を飲むか?」  濡らしたタオルで腫れた頬を拭い、冷やしてやる。水も少し飲んで落ち着いたのか泣きじゃくって引き攣った呼吸が落ち着いてきた。 「ありがとう、龍哥……でも、夜遅くに来て、迷惑かけてごめんなさい」 「そんなことはない。それより、何があった? 信一が怪我をしたなら大変だ」  尋ねると、信一は視線を揺らし、明らかに戸惑っている。信一の父親は薬物に金をつぎ込んで手下たちに金を借りざるを得なくなったとき、金がなくて薬物が手に入らなくなったとき、機嫌が悪くなって薬物の売人や、もう薬物はやめろととめた手下に怒鳴りつけたことがあるのは知っていた。そして、信一にも声を荒らげてしまうときもあるらしいと。それでも、彼は息子に手は上げなかった。その信一の父親が手を上げたのであれば、もう強引にでも薬物を断たせるか、誰かが信一を引き取って育てるべきだ。もう信一の父親のかつての評判や体面など考えている場合ではない。まず、信一が辛い思いをせず、怯えずに暮らせる場所を探さなければ。  俺は黙ってこれからどうすべきかを考えながら、信一を見つめる。利口な信一は、俺の様子からきっと自分が口にすることで父親が大変なことになると彼なりに理解している。何度も視線は揺れ、目元には涙が滲む。背中は丸まり、不安そうに手が握りしめられる。 「信一、お願いだ。怒らないから話してほしい。俺にできることをさせてくれ」  泣きじゃくって顔を擦った手のひらに挟まれた髪の毛が涙で濡れて、頬や顎にはりついている。髪を耳の方へと流してやり、信一を見つめる。首の後ろや頭を何度も撫でる。 「帰ったら、お父さんが龍哥が買ってくれた靴に気が付いて……あてつけか、って急に怒った。違うって言ったけど、他人に物をねだるなって叩かれた……龍哥、あてつけってどういうこと? 僕が悪い子だから、お父さんは怒るの?」  再びぽろぽろと泣き始めた信一を抱きかかえて、寝室に連れていく。俺のせいで辛い目に遭ったのに、よく大声で泣かずに耐えてここまで来たな、もう好きに泣いてもいいと小さな体を抱きしめる。ベッドに下ろして、毛布を背中からかけてやる。 「信一、あてつけはわざと誰かに嫌な思いをさせようとして、見せつけたり、あえて言ったりすることだ。お前はしていない。俺が配慮できていなかったのが悪いんだ」 「でも……」 「お父さんが何を言おうと、俺にとってお前はいい子だ。九龍城砦でも、一番利口で、優しい子だ。困ったときに、俺を頼ってここに来てくれる。誰かに頼るのは大人でもなかなかできることじゃない」  小さな背中に手を回して、肩に手を置いた。何度も大丈夫だ、いい子だと言い聞かせるうちに、信一は鼻を鳴らしながらそっと俺にもたれかかってくる。 「今日はもう家に帰りたくなくても、悪い子じゃない? 龍哥にはたくさん迷惑をかけてるのに」 「そんなことで悪い子にならない。迷惑だなんて一度も思ったことはない。明日、お前のお父さんと話したいことがある。そのとき、俺と一緒に帰ればいい」  信一は俺の上着を強く握りしめる。そして、俺をじっと不安そうに見上げて迷っていたが、小さく頷いた。頭をそっと撫でて、ベッドに横たわらせる。 「よし、それじゃあ寝ようか。お父さんも一晩経てば、きっと怒っていない」  俺は信一の隣に横になって小さな背中を撫でてやる。頷いた信一は俺にしがみついて、何度も頷いた。その温かい小さな体をできるだけ優しく抱きかかえ、大丈夫だと何度も繰り返す。  そのうち、泣くのに疲れたのか穏やかな寝息が聞こえてくる。俺は抱きかかえた小さな子を守るように、体を丸めて胸に抱えた。  夜が明けたら、まず信一の父親の様子を見に行こう。その様子次第では、信一を預けられる先を探さなければならないだろう。手下たちとも協力して、何としても薬物を断たせなければ。彼の矜持や体面など四の五の言っていられない。様々な可能性を持つ子どもたちを大人たちの因果に巻き込んで、辛いことが待ち受ける道に進ませるわけにはいかない。俺たち大人が味わった苦しい道を、どうして子どもたちがまた選ぶ必要があるのか。  どうか、信一が選ぶ道がよくなってほしい。自由に生き、どこにでも行けるようになってほしい。いや、よくしなければならない。ここが多くの者の死と傷と血で成り立った場所である以上、より多くの苦しみを重ねたくないのだ。  天の定めなど、このときばかりは信じたくなかった。  どんな苦しみも、いかなる痛みも、想像を絶する懊悩も、子どもは知らずに生きてほしいのだ。辛い目は俺たちがすべて背負えばいい。胸元から聞こえる小さな寝息と感じる体温に、守りたいとおこがましくも考えていた。  願い、祈るように、信一が元気に育ってほしいと思う。  そうして考え事をしているうちに俺もまどろんで、いつの間にか深い眠りに沈んでいた。  朝起きると、まだ俺の胸の中で信一は眠っていた。いつもより早く目が覚めたらしく、外から聞こえてくる音は控えめだった。まだ九龍城砦が眠りから覚めきっておらず、住民たちがそろそろ起きてくる頃合い。そういった時間帯だ。  早く、信一の父親に会いに行くべきだろう。一晩帰ってこなかった信一を心配しているはずだ。信一の顔を見せてやって、無事だと伝えたい。何も言わずに一晩泊めたことも謝りたい。  それに、もう薬物を断って縁を切れと説教をされるところなど、周りには見られたくないはずだ。早くに会いに行って誰にも見られないうちに済ませたい。もし周りの誰かに見られたとすれば、自尊心を踏みにじられたと思わせて、激昂させてしまいかねない。そうしないためにも、もう起きて出かける準備をしよう。  信一の背中を撫でる。まだ目元は赤くなっていて、頬にも涙の跡が残っている。起こさないように癖のかかった柔らかい髪を撫でた。起こすのは忍びないなと、俺は体にかかっていた毛布を持ち上げてベッドから静かに立ち上がろうとする。 「……龍哥」  寝間着の裾を小さな手が掴んでいる。 「すまない。起こしたか? まだ寝ていてもいい」 「置いていかないで、……僕も行く」  眠そうに目を瞬かせながら、信一も起き上がった。眠気のせいか覚束ない足取りでベッドから下りようとする信一を慌てて抱き上げて、俺は着替えに向かう。 「置いていかない。大丈夫だ。俺が着替えたら、一緒にお父さんのところに帰ろう。きっと信一がいないと心配しているからお父さんに謝って、怒っていたらまた俺のところに来ればいい」  店のソファに信一を座らせ、少し待っていてくれと言って手早く着替えに行く。店の方に戻ると、信一は心細そうに足を揺らしながら俺が来るのを待っていた。水と濡らしたタオルを用意して、信一の隣に座って顔を拭いてやる。腫れた目元と殴られた頬はまだ痛々しいが、涙の跡は消えた。水を渡すと、少しずつ飲み始めた。 「帰りたくなければ、それでもいい。お父さんが怖いかもしれないが、俺がいる。心配しなくていい。どうする」  水を飲みながら、信一は俺をじっと見つめている。  この子の澄んだ瞳にまっすぐ見つめられると、俺が言った「心配しなくていい」が信一だけではなく、自分自身に向けたものだと見透かされているような気がした。子どもは子どもなりに、周りの環境や周囲にいる大人を理解している。俺はできるだけ懸念や不安を周りに見せないようにしているが、言葉の節々の調子や素振りが違うと信一が気づいて、俺の心情を敏感に察していても不思議ではない。  信一は水を飲み終えると、コップをテーブルに置いた。そして、小さくも、確かに頷いた。 「僕、帰る。龍哥と一緒なら大丈夫」  いい子で、強い子だ。大人に心配をかけまいと、いい子として無理をしていないかと気がかりになるほどに。俺も頷き返して、信一の手を握って立ち上がる。 「信一、行こうか」  小さな手を引いて店を出て、信一に歩調を合わせてゆっくりと彼の父親が住む部屋にまで向かう。途中で朝早くから店の開店準備や仕事に出かける支度をしている人をときどき見かけるが、まだ少ない。もう少し時間が経つと、もっと大勢が起きてきて騒がしくなってくる。  信一は俺の手にしがみつくように両手で握り、歩いていく。  幼いながらもその足取りはしっかりしている。そして、ある部屋にたどり着く。久しぶりに訪れる部屋に、俺は深く息を吸った。近所の人々は眠っているのだろう。このあたりはまだ静かだ。俺が訪れたと知ると、信一の父親はまた説教に来たのかと身構えるかもしれない。 「まずは信一が入った方がいいかもしれないな。お父さんが心配しながら待っているかもしれない」 「大丈夫かな」 「大丈夫だ。お父さんが怒っていたら、すぐに俺も入る」  すると、信一は俺の手を少しずつ離した。そして、扉を開くか確かめるように引いて、中を見る。そろそろと中に入っていく信一を見守る。 「……お父さん?」  部屋から聞こえた控えめな声は不安と困惑が入り混じっていた。 「お父さん。どうしたの、お父さん……! 龍哥、お父さんが……」  明らかに怯え、泣き出しそうな声だ。俺は慌てて部屋の中に入る。嫌な予感が背筋に走る。中に入って目にしたものに、息を飲んだ。  棚の取っ手に布を引っ掛けて首を吊った人影が見えた。  顔は見たくなかった。確かめるのが恐ろしかった。自分は現実を理解するのが躊躇いながらも、どこか冷静な頭は首を吊った人物を見据える。  確かに信一の父親だ。途中で倒れかかったような姿勢のまま、動かない。もう生きてはいないだろう。  どうして信一がいるのに死を選んだ。  なぜ俺はこうなるのをとめられなかったのか。今までとめられる機会はいくらでもあったはずだ。  疑問と後悔が押し寄せる。唇を噛んで、溜め息と悲嘆を飲み込む。 「……信一、おいで」  そのすぐ傍で何度もお父さんと呼び続ける信一を抱き上げ、これ以上は見ないようにと信一の顔を胸に向けて抱きしめる。  部屋の片隅にある溜まったごみか、排泄物の匂いか分からないが、鼻をつくえた匂いがする。煙草や薬物の匂いも混じっている。俺は溜め息のような力ない呼吸をして、部屋の外に出た。近所の人に手当たり次第に声をかけて、誰か手下を呼んでほしいと頼む。信一も何が起こったかを理解し始めたのか、俺の胸の中で震えながらすすり泣いていた。  すぐに手下たちが集まり、部屋に残された信一の父親の遺体の確認と片付けが行われていく。ありとあらゆる店や物が集まる九龍城砦であっても、遺体を弔って葬儀を終えることまではできない。特に、信一の父親は外に遺体を引き取れる身内や知り合いもいない。身元が確かでないか、不法滞在者、黒社会に属する者はたいてい九龍城砦の外にある公共施設に置いて、通報する。  そうすれば、事故として処理されるからだ。行政もそうした通報のあった遺体は、九龍城砦で事件や薬物に関わったか、黒社会の抗争や喧嘩で命を落とした者だと周知されている。だが、首を突っ込んで対処せざるを得ない事件や社会の問題に踏み込みたくないのだ。九龍城砦はまっとうな社会で生きる保護は受けられない。その代わりに、社会の隙間で黙って過ごすことで法に反する存在であっても見過ごされる。  そうやってここは成り立っている。何年もかけていつの間にかできあがった暗黙の規則に従い、信一の父親の遺体は外へと運び出されていった。信一の父親によく世話になった手下たちは部屋を片付け、あり合わせの供物と線香で簡単な弔いをした。そのときには既に昼に差しかかっていた。  信一を父親の死に向き合わせるのは酷かと俺の店で休ませようとしたが、俺にしがみついて離れようとしなかった。  結局、食事はおろか好物のお菓子やジュースすら口にしようとせずに俺に抱かれたまま、信一は父親の遺体を見送り、簡単に行った弔いの場にもいた。だが、火をつけた線香が消えた頃には信一も泣き疲れて、鼻を鳴らしながら俺に抱かれてぐったりとしていた。 「信一、今日は休もう。ひとまず俺の店に来ればいい」  俺の胸元で信一はかすかに頷く。疲れきったのか目を閉じてうとうとし始める信一に、手下も大丈夫か、こんな子どもが親の死を目の前にして心配だ、とひそひそ相談し始める。俺もそうだなと相槌を打つ。 「俺は信一の傍にいて面倒を見る。しばらくそっとしておいてくれないか。あとのことはお前たちでも十分できるはずだ」  ずっとは一緒にいられないが、今は信一のためにも少しだけでも傍にいて面倒を見てやりたかった。そして、信一の将来を考える時間が欲しかった。この場にいる手下たちはずいぶん長い付き合いで、亡くなった信一の父親と俺が半ば義兄弟として信頼し合っていた過去を知っている。  おかげで、手下たちはどうか気落ちしないでくれと気遣いながら見送ってくれた。うとうとしている信一の背中を撫でながら店に戻る。  店の扉の取っ手には袋がかけてあった。中を覗き込むと近所で売られている料理が入れてある。信一を起こさないよう気をつけて袋を取り、店に入る。寝室へと向かい、慎重に信一をベッドへと下ろす。 「うん……龍哥……?」 「起こしたか。疲れただろう、寝ていてもいい。お腹が空いたか?」  眠そうに目元を擦る信一は首を横に振ろうとしたが、ちょうどお腹が小さく鳴るのが聞こえた。俺は手に持ったままの袋の中身を取り出し、ベッドの近くにある棚の上に置いた。一緒にメモも入っている。近所の人が、信一が父親を亡くして心配だ、よかったら食べてほしいから置いていくとメモには書かれていた。 「近所の人が心配して持ってきてくれた料理だ。一緒に食べよう。朝から何も食べていないから疲れたな」  弱々しく起き上がる信一を支えて、好きな料理を選ばせる。信一が選ばなかった料理を手に取って食べていく。黙々と信一は料理を食べていたが、よほどお腹が減っていたのだろう。少しずつ食べる勢いがよくなり、すべてを食べきっていた。俺は立ち上がり、水とジュースを持ってくる。 「ジュースの方がいいか?」 「うん。ありがとう」  瓶の蓋を取って信一に手渡す。ゆっくりと信一はジュースを飲んでいたが、突然目に涙を浮かべてぽろぽろと泣き出した。 「どうした。お腹が痛いか」  慌てて抱き寄せる。するも、信一は何度も首を横に振った。俺の肩や胸元に熱い涙が落ちる。 「龍哥、お父さんがいなくなったら、僕はどこに行けばいいの。僕、帰るところが、お父さんが……どうしよう」  信一が声を上げて泣き出す。こうやって声を上げて泣くのは、父親が亡くなってから初めてだった。ずっと心細さや辛さ、悲しみを押し殺していたのだろう。俺は信一の頭を支えて強く抱き締めた。 「大丈夫だ。信一。辛かったな。心配するな」 「ごめんなさい、僕のせいで、お父さんは……」 「違う。俺のせいだ、すまない。信一はいい子だ。お前のせいじゃない」  言い聞かせるように繰り返す。そうだ、俺のせいにしてしまえ。どうか俺のせいにして生きてくれ。  お前がまた笑って生きられるのなら、俺は何だってしてやりたい。お前が望まなくとも、俺に約束させてくれ。そう半ば願いながら、抱きしめていると、信一も泣き疲れたのかぐったりとして声を出さなくなっていく。とうとう泣き声がすすり泣きに変わったところで、俺はベッドに座って信一を膝にのせる。 「信一。心配はいらない。近所の人で、子どもがなかなか生まれなくて引き取りたいと言っていた夫婦もいる。ここの外でも、お前を引き取りたい人はたくさんいる。大丈夫だ、信一はどこにでも行ける」  信一の父親は不法滞在者や犯罪者として扱われるが、保護者がいなくなった信一は保護されて幸せな家庭の子どもとして引き取られる可能性がある。俺のつてで、できるだけ黒社会とは縁遠い人に引き取ってもらうこともできるはずだ。 「新しいお父さんとお母さんと暮らすの?」  信一は俺を見上げて尋ねてくる。目元は赤くなっているが、俺をまっすぐと強く見つめている。頬の涙の跡を指で拭い、俺は頷き返す。 「そうだ。急には大変だろうから、しばらくは俺のところで暮らしても構わない」 「新しいお父さんも、お母さんもいらない……僕はここにいる」  まっすぐと俺を見つめたまま、信一はか細い声で言った。  声は震えていて今にも途切れてしまいそうだ。 「どうしてだ? お前はいい子だ、大丈夫だ。どこでだってうまくやれる」 「僕、新しいお父さんじゃなくて、……龍哥がいい」  考えすらしていなかった返答に、俺はつい目を見開いてしまった。信一はじっと俺を見ている。何かを信じるように、願うように。  強い光が宿った瞳だ。そして、離れないでと言いたそうに、瞳の奥には寂しさが滲んでいる。一度見たら忘れられない眼差しだ。 「龍哥と一緒がいい」  俺は信一の頭を撫でる。密かに阿占の子どもを思い出していた。信一をあの子の代わりにするわけではないが、もう今はいない、俺が手をかけた友人への償いになるだろうか。  いや、償いなどではない。ただ俺の後悔を紛らわせ、罪悪感から逃れたいのだ。赦しがほしい。己の苦しみを慰めるためにこの子を引き取り、育てるなどとても許されないだろう。  俺が黒社会の人間であるせいで、この子を危ない目に遭わせてしまうのではないか、まだ子どもなのに彼の道を狭めてしまわないか。悩みや迷いは尽きない。  信一が俺といるのがいいといくら望んだとしても、俺ではない誰かに引き取られた方が幸せではないか。ここで俺といては、自身が抱え込んだ因果にまだ幼い信一を巻き込むかもしれない。  俺は軽く唇を噛んだ。  そして、頷く。  この決断が、俺の意思が、信一の望みが、本当に正しいのだろうか、善き道につながるだろうかと考えを巡らせる。ただ、どれだけ悩んだ末に答えが分からなくとも、この子を放っておいていい理由にはならない。 「分かった、信一。一緒にいよう」  小さな体を抱きしめる。まだ細く、ほんの少し力を入れれば壊れてしまいそうな体は温かい。この温かさは放っておけば、些細なきっかけでどこかにいなくなってしまいそうだ。小さな腕が俺の服を掴んでしがみついてくる。見失わないよう、離れないよう、強く抱きしめ返した。 「だが、お前がここから出たい、俺以外と暮らしたいと思ったらすぐに言ってくれ」 「どうして? 龍哥は、僕が嫌いなの?」  心細そうなか弱い声が胸元から聞こえる。俺は首を振った。 「違う。お前はここでなくても、俺といなくても、きっと大丈夫だ。大きくなったら、いつか信一は別のところに行きたいと思うかもしれない。そのときは、お前が好きなようにしてほしいんだ」  どうか大人に縛られずに生きてほしい。九龍城砦が成り立つ前から俺たちにある因果に巻き込まれないでほしい。できるだけ、自由に生きてほしい。そんな願いはまだ幼い子どもにとっては理解できないだろう。俺も自由に生きられるのがどれほど大切で、なかなか得られるものではないと気がついたのは、大人になって、それもずいぶん経ったときだ。 「分かった。でも、今は龍哥と一緒にいてもいいよね」 「ああ。もちろんだ。俺といてくれると嬉しいくらいだ。だから、もう心配しなくていい。今日は疲れただろう。よく休みなさい」  抱かれている信一が頷き、髪が首や胸に擦れる感覚がした。背中をさすって軽く叩いてやると、少しずつ穏やかな寝息が聞こえてくる。そっと信一を抱えていた腕を解いて抱き上げ、ベッドに横たわらせる。俺が手を離しても信一は起きずに、ベッドで眠っていた。今日は朝早くからずっと起きていて疲れていたはずだ。よく今まで起きていた。気丈に振舞いすぎていないか、心配になってしまう。  実の父親に暴力を振るわれたこと、父親の死を目のあたりにしてしまったことを理解するには、まだ時間がかかる。信一が大きくなっていくにつれて、向き合っていくだろう。今の休息は気休めだが、人間はそうやって辛いことを日常に紛らわせ、ときに心の傷や過去に向き合い、育ち、大人になっていく。気休めだったとしても今はよく休んで、いつか彼が大人になっていくときに過去と向き合える強さを培っていってほしい。  俺は信一に薄手の毛布をかけてやり、髪を撫でる。そして、できる限り静かに立ち上がる。寝室を出て窓辺で煙草に火をつけた。一息吸ってから、今日は朝から吸っていなかったと気がつく。  これからは忙しくなる。子ども用の寝具や生活用品が必要だ、勉強道具も買ってやらないと。吸う煙草の本数が減って体にはいいかもしれない、と俺は笑う。今は上辺だけでも笑っていなければやっていけない。そういったことを考えていると、いつの間にか煙草は短くなっていた。  夕方頃になっても信一は起きてこなかった。よほど疲れたのだろう。夜には起きるだろうかと、夕食とお菓子を買いに行った。  夕食を二人分買って理髪店に帰ると、何人かの手下が店の外で俺を待っていた。 「どうした? 信一が中で寝ている。様子だけ見てきていいか」 「はい。急ぎの用ではありません」  店の前に手下を残して店に入り、寝室に向かう。中をちらりと窺うと、まだ信一は眠っていて胸がわずかに上下するのが見えた。店先に戻ると、手下の一人が一枚の紙を差し出してくる。 「これが片付けた部屋にありました。おそらく、信一の父親が残したものかと」 「そうか、ありがとう」  軽く息を吸い、静かに吐いた。受け取って目を通していく。 『もう俺は生きていられない。誰かを傷つけるのに耐えられない。  すまない、信一。許してくれ。  龍哥、信一を頼む。』  震えた文字で書かれていた数行の文章に、俺は小さく首を横に振った。紙はところどころが汚れ、皺が寄っている。きっと部屋にあったか、どこかに落ちていたものに書いたのだろう。信一の父親が死を選んだとき最期に書き留めたのだと、汚れや皺が目立つ紙とそこに書かれた文字が物語っている。  どうして生きられないと死を選ぶ前に、俺を頼ってくれなかった。なぜ俺も彼も、意地や矜持、体面があるからと言い訳をして、関わるのを避けたのか。過去に一度でも無理に関わって口を出していれば、何かが変わっていただろうか。もうどうにもならない悔いが自身を苛む。 「龍哥、信一はどうしましょうか? 俺たちの間でも里親か、組織で引き取れそうな誰かを探そうかと話していたんですが……」  俺が眉間を寄せていたのに気がついた手下が、おずおずと声をかけてくる。 「大丈夫だ。信一は俺が引き取ることにした。あの子の父親が元気な頃には、ずいぶん世話になった。それに子ども一人くらい面倒を見られないと、お前たちに上に立つ者として信頼されないだろ?」  わざと冗談めかして軽く笑って見せる。手下たちも俺が上辺だけ繕ってあまり重い話にならないようにしていると察してくれたようで、龍哥なら信一も喜ぶはずだ、あんなにかわいい子がここからいなくなって会えなくなるのは寂しいからよかった、と口々に言ってくれた。 「また後日、信一のために家具や服を用意するつもりだ。そのときはまた手を貸してくれ」 「はい。あと、部屋に残っていた信一のものをこの箱にまとめました。明らかなごみや薬物は処分して、残っていた金目のものや使えそうなものは入れてあります。少しでも信一のために使ってください」 「さすが俺の下にいるだけあって、気が利くな。助かる」  俺は店の扉を開く。一人の手下が抱えていた箱を持って中に入り、空いていた場所に置いた。 「じゃあ、俺たちは失礼します。今の信一はそっとしておいた方がいいかと」 「すまないな。また信一が元気になったら、遊んでやってくれ」  気にしないでくださいと手下たちは笑って去っていく。俺の周りにいる手下たちも辛いだろうに、俺と信一を気遣ってくれている。彼らや近所の住民を思うと、気落ちしてばかりではいられない。店に入って、ふうと息を吐いた。手下が持ってきた箱に向き合う。箱の前でしゃがんで中の物を確かめていく。  封筒や布の袋に入れてある紙幣や小銭、信一の衣服、子ども向けの本、汚れや傷のあるおもちゃ、少しくたびれたぬいぐるみ、信一の両親が写っている写真と信一が今よりも小さい頃の写真が何枚も、装飾品がいくつか。そういった物が入っている。  衣服や玩具など使えそうなものは信一に渡そう。  あまりまとまった額にはならないだろうが、金銭と金目の物は信一のために貯金として残しておくべきだ。いつか大人になったときにでも渡そう。残りは信一にとって思い出の品だ。それでも、今見せても複雑な思いをさせるだけかもしれない。いつか彼が親のことで向き合いたいと言うことがあれば渡すことにしよう。  俺はひとまず今使えそうな物だけ取り出し、箱を信一の目に届かない棚の奥へとしまった。箱には信一の父親が残した遺書も入れておいた。まだ信一に見せるには早すぎると思った。  信一を頼む。  震えた文字が脳裏に焼きついたように離れない。まるで、阿占が息子を俺に託す、義父だ、と言ったあの日のようだ。あのとき、あいつが笑って言った言葉が未だにまざまざと思い出せる。きっと、信一の父親が遺したあの言葉も俺の胸にずっと留まり続ける。  友人が託すと言った幼子を守りきれず、義父として何もできていない俺に、いったい何ができるだろうか。深い溜め息を飲み込んで煙草を咥える。火をつけて吸うも、気分はまったく変わらない。阿占の子どもにできなかったことを代わりに信一に押しつける気はさらさらないが、もう俺が抱える因果で傷つく子どもは見たくない。  俺にできるだけのことをしよう。 「……龍哥」  か細く俺を呼ぶ信一の声がする。俺は煙草を消して寝室へと向かった。






公開:2025年5月28日

更新:2025年5月28日

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